心の奥に仕舞っておいた怖れと面と向かう時

節分、立春は、集落の仲間と一緒に過ごし、立春の餅つきでは、ネコヤナギの枝に三色餅を飾り、餅花を咲かせた。なんともめでたい感じが、する、昔からの風習である。

さて、年が明けて一月は、色々と印象的な事があり、あっという間に終わったような、年明けがもう随分前の事のような妙な心持ちだ。心境の変化で言えば、心の奥の、怖れ、不安、自己不信などの負の感情がごった返して押し寄せる中、逆に、信頼と、甘えや、自己憐憫や、自己陶酔とは、一線を画す、純粋無垢なる自己愛に目覚める絶好の機会が、盛りだくさんの一ヶ月だった。

まず、本当に心を込めて、さのまきこ と名の付いたわたしの肉体を含めた自身そのものに、ある朝、今ここに生きて存在してくれて ありがとうございます‼ と、声を掛けた。すると、わたしと言う存在が、感激して、うれしくて、大声で泣いた。そして、こんな風に、自分自身をいたわった事が、今まで一度も無かった事に気が付いた。半世紀以上も、付き合っているのに。

こんなことは、ひとから見れば自作自演の、子供じみたお遊びのようであるが、ほんとに、そうだろうか、と思う。

ひとは、いつも、自分以外の誰かに、愛されたいとか、誰にどう思われるとか、どう評価されるかとか、そんな事ばかり思っているが、さあ、自分の存在を自身が認め、許し、愛してあげる事を、真剣に考えたりする事は、意外に少ないのではなかろうか?

自身の無限の可能性に、その底力に心を開き、信じ切る事の大切さを今の今になって、改めてひしひし感じ入る今日この頃だ。

おそらく、今年誰の人生にも、精神的な変化が起こるべくして起こって来ることだろう。わたしの人生にも、大変化が起こるだろう。

その目まぐるしい変化に対応していく頼りになるものは、最終的には、やはり、純粋な自己愛と、信頼しか無い。

心配や不安に落ち入るような事は、周りに山積みだけど、
そんな時だからこそ、ひとりびとりの個の底力に目覚め、怖れと立ち向かう事が大切なのだと思う。

わたし個人で言えば、もともと舞踊家のわたしが、うたを授かり始め、歌い始めて、13年経って、まだ、舞台で表現としてまで、歌う事を捉えられない、もどかしい、わだかまりのような怖れから、スルリと抜けて、歌を喜びとともに心の底から表現出来た充実したステージを務めさせていただく機会を、一月末に得て、わたしの内のなにかが、大きく変わった。

そのステージの前に、また、自分自身を、そのまま受け入れ許し愛す事が出来る出来事があり、まるで、物語のように、光の方へ向かえたのである。本当に有難いことである。

今、ジタバタするような心が、ほとんど無く、全て、流れのままに、全て上手く行っているし、起こる事全て、恵みと思えるいい按配である。油断は禁物ではあるが。

うんと、負の感情をとことん味わい、その負の感情が、本来性の存在の仕方には、全く理に叶わぬ事を納得し、そして、そこから、引きずられ無い。そのコツが、少し掴めて来たかな。

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