止まない非難 批判 気持ちはわかります。でもね。

慣れないツイッターや、フェイスブックなど、たまに、ずらずらっとある数々の沢山のひとの寄せる情報、意見、わたしが、フォローしているひとの傾向からか、なんとも、非難 批判だらけで、ため息がでます。

ほとんどは原発関連。原発事故に対する政府、原発事業者、その擁護にあたる学者や有名人、その人々に対する非難、批判、罵倒、憤り、などなど、ふぅう〜う〜

解ります。気持ちは。政府の対応や、対策のまったくいのちに対する切実な感覚 感性を疑いたくなる、人間性のかけらも感じられない、事ばかりです。

けれども、まず、こんな世の中の現実を作って来たのは、自分自身も、含めて 全ての日本国民に責任がある、という事を、真に受け止めないといけないと いつも 私は思ってしまうのですが、
どうでしょうか?

自分なりに、脱原発 核廃絶 には 強い想いを持っている。 祈りに祈る気持ちである。でも、批判や非難のもっともな事が解りながら、何か どこか 違和感をかんじるのは、私だけなのかな。

ひとは、いつも大抵、ひとや物事を非難 批判 否定 する時は、その非難の対象に全面的に悪を被せ、自分は全面的に善の立場を取りたがる。それって、昔からのひとの癖という事ですかね。

もちろん、自分自身も、例外では無く、むしろその傾向な強い方だったように思う。
自分の価値観や、思いこみ、訳の解らない自分だけ解ったつもりの正義感などで、ひとや物事を
激しく裁きまくっていましたが。

90年代の終わりに、全ては、繋がっているなら、私は、ヒットラーにも、麻原しょうこうにも、
繋がっている、と自分の悪を認める、そんな気づきがあり、それから間も無く、全てはひとつ と言う
大きなテーマのうたうたが、降るようにやって来て、それから、歌うようになり、益々、そのテーマに、自身の内面に向き合う事を突き付けられ。

それから十数年、人生のチョー荒波をくぐり抜け、時に溺れそうになりながら、ようやく、少し、少しずつ、一方的善の立場から、距離が持てるようになって来ました。

まだまだ、油断してると、長年のクセが、出て来て おっとっとっ! となりますがねぇ
なんとか、裁くの砂漠から、オアシスが、近づいてきたかなと思います。

この調子で行きたいですね。

以前、禅宗の尼さんのお友達が、印象的な一言、今だに忘れられませんが。
☆ 平和運動とか、活動とか、出来る訳じゃ無いけど、自分の中の戦争の芽を摘んでいくしかない
よねぇ ☆ ほんとに、そうだとわたしも思う。つくづく思う。

早く、たくさんのひとと、オアシスへたどり着きたいな。

広告
カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中